2013年5月31日金曜日

エアロゾル観測訓練

今日は立川市の極地研究所で訓練。エアロゾル観測の勉強でした。

エアロゾルとは大気中にある微粒子。
例えば、すす、黄砂、花粉、海の塩、最近話題になったPM2.5もエアロゾルです。

日本国内だけでなく、世界各地でこの微粒子の観測が行われており、
南極昭和基地もこれらの観測ネットワークの1つとなっています。

昭和基地で行ってるエアロゾル観測は3つ。
1つはスカイラジオメータ。

太陽からの光を測ることで、大気の濁り具合を調べることができます。
測った結果はこんな感じで表示されます。

微粒子が多い場合は乱れたラインになります。
これで、どのような種類の微粒子が大気中にあるか分かります。


2つめはパルスライダー。
先に紹介したスカイラジオメーターは単に光を受動的に観測するものですが、
こちらは能動的に観測するものです。
つまり測定器からレーザー光を出して、微粒子に反射して帰ってきた光を観測します。
この測定では、どのくらいの高さに微粒子があるのかが分かります。


3つめは全天カメラ。
観測というより、単に空の写真を撮っていると言った方が正しいかと思います。
これで、雲がどのくらいの割合あるかを調べています。


これらの観測は、これまで観測隊のモニタリング隊員が担当してきた仕事なのですが、
自分たちの参加する55次隊では人員削減のため、気象隊員が実施することに
なりました。

1つめの観測は南鳥島で、3つめの観測は札幌で少し経験があるので、
初めてという訳ではないのが少し救いです。


ドブソン調整作業

最近は南極に向けての訓練が増えてきましたが、訓練以外の仕事もやっています。
今週水曜日に、つくばの高層気象台にて、南極に持っていくドブソン分光光度計の
調整作業をやってきました。

こちらが、(このブログに何度か登場していますが)南極に持っていく測定器です。

測定器の内部の様子を確認するため、上半分を機械を使って持ち上げます。

こうして、内部の部品に汚れ等が無いか、正常に観測できる状態になっているか確認しました。

内部は精密なガラスやレンズがたくさん配置されているので、
ちょっとした汚れやホコリがあるだけで観測値が変わってしまいます。

このようにライトを当てながらホコリやキズが無いかチェックします。
今回は少しだけ汚れがあるのが見つかったので、丁寧に丁寧に清掃作業をしました。

高層気象台の測定器のプロに指導してもらいながらの作業だったので、
作業後の測定器の感度もほとんど変わらず、無事に作業を終えることができました。

2013年5月29日水曜日

地上気象観測訓練

今日は地上気象観測の訓練でした。

「地上気象観測」と言われても、何のことだかさっぱり分からないかもしれません。

地上気象観測とは「地上付近」での一般的な気象要素を観測することです。
通常なら、気圧、気温、湿度、風向、風速、降水、降雪、日照時間などを観測します。

南極では風が非常に強く、ほとんど雨が降らないことなどにより、降水の観測は
行っていませんが、それ以外の項目は観測をしています。
今日はこれらの機器の扱い方、トラブルの対処方法を勉強しました。

国内ではここ数年、観測機器などの更新作業をしているのですが、
南極はこの先3年ぐらい今の観測機器を使い続ける計画です。

自分がこの古いタイプの機器を使ったのは5年前。しかも合計3ヶ月ぐらいしか
経験がありません。
久々にこういう機器をさわるので、新しい機器の知識と古い機器の知識が
頭の中でごちゃまぜになっていて、知識を整理し直すのに時間がかかりました。

もう二度とさわることなど無いとばかり思っていた機器に、
まさか南極の地で出会うことになるとは。。。



ここまでは、地上気象観測のうち機器を使って行う観測。
それ以外に、人間が行う目視観測というものもあります。

例えば、視程(見通し)、雨や雪の種別、雲の観測などがそれです。

何年もこういう観測をやってきましたが、かなり難しいです。
目視観測は各観測点ごとにクセがあります。
と言うべきか、あまり事細かく国際ルールが決まっていないので、
各観測点ごとに細かいルールは考えてもよいことになっています。

以下の写真のような雲を見ても、人によって、その観測結果は少し違うものになります。

半年後には同じ場所で一緒に観測をしなくてはいけないので、
これから機会を見つけて、どの気象隊員でも同じように雲を観測できるよう
練習します。

2013年5月25日土曜日

帰国報告会

昨日、2ヶ月前に日本に帰ってきた、第53次南極越冬隊の気象庁職員による
帰国報告会が開かれました。

各隊員が南極で1年間過ごした中での活動や観測の成果を紹介するものです。

南極経験者にも未経験者にも分かる専門的な話をしなくてはいけないので、
帰国隊員の方々はかなり苦労をされているようでした。


先代の「しらせ」見学

船橋マリンフェスタというイベントで、先代の南極観測船「しらせ」を
見学できるという話を聞いたので行ってきました。

JR新習志野駅から送迎バスで会場へ。
会場はビール園の隣という好立地です(笑)



こちらが、先代の「しらせ」。
現役引退後、ウエザーニューズ社に買い取られ、現在の場所に停泊しています。

ちなみに「SHIRASE」という表記は、買い取られた後に書き込まれたものです。
参考までに、現在運用されている「しらせ」はこんな感じ。

現役の「しらせ」の様子はこちら→「しらせ」と初対面

こちらは船の前面。一番上にある部屋は艦橋(操舵室)です。かなりサビがひどいです。

艦橋からの眺め。物資を出し入れするためにクレーンが付いています。


こちらは船の後方にある飛行甲板。
ここでヘリが離発着をしたり、船の倉庫から出し入れる物資を整理するために使われます。
乗組員全員でのセレモニーの際にも使われます。


飛行甲板のシャッターの奥には、ヘリコプターの格納庫があります。
こちらもペンキがはがれていて、老朽化を実感できます。

格納庫の天井にはこんなものがぶら下がっていました。
(何がしたいのかは謎です。)




ちなみにこの会場では、この春就職した大学院の後輩が
頑張って仕事をしているのも、ついでに見学させてもらいました。

2013年5月23日木曜日

ドブソン特別研修

先週と今週の2日間、自分が南極で担当する観測機器、
ドブソン分光光度計の研修のため、つくばの高層気象台へ行ってきました。

この測定器は、気象を専門にする人でも殆ど知られていないマニアックな
ものですが、この観測結果は気象に興味ある人なら誰でも知っているという
不思議なものです。


誰でも知っている観測結果というのは、南極のオゾンホール。

A Special Ozone Observation at Syowa Station, Antarctica from February 1982 to January 1983

上の図は南極昭和基地での1年間のオゾンの鉛直積算量。
ちょうど南極の春(10月)ぐらいに、オゾンの量が減っているのが分かります。
これが南極上空でのオゾン層の減少---いわゆるオゾンホールです。


このオゾンを観測するドブソン分光光度計は非常に繊細な機器です。
どのような測定器でも多かれ少なかれ誤差・個性・特性を持っています。
しかし、この測定器はその誤差が非常に大きいので、扱うのが難しいのです。

周囲の気温や気圧が変わるだけで、もちろん測定値が大きく変わります。
なんと、測定器の状態を確認するために蓋を開けるだけで、観測値が変わってしまいます。

そんな敏感な測定器で、それでも部品の交換が必要な場合の対応手順を勉強してきました。

今回も予想通り、部品を交換しただけで測定器の特性が変わりました。
今回はなぜか特性が不規則に変化してしまったので、それが本当に部品の
交換によるものかを数時間かけて検討することも必要になってしまいました。

南極でも同じことが起きないとも限らないので、しっかりと測定原理や測定器の原理を
勉強したいと思います。

夏期訓練への誘い

またしても国立極地研究所から手紙が来ました。

今回は何だろう、とドキドキしながら明けてみると...

来月に開催される夏期訓練のお知らせでした。

訓練といっても、内容は体を使った訓練は救急救命訓練ぐらいで、
あとは頭を使った訓練(講義)です。

久しぶりに何時間も講義を聞くことになるので、ちゃんと座ることに
耐えられるのかという不安はありますが、楽しんできたいと思います。

2013年5月18日土曜日

春の気象学会

5年ぶりに気象学会に行ってきました。

今日は学会最終日で、ほとんどの発表は終わってしまっていたので残念でしたが、
大学院時代の先生や先輩にお会いすることができました。


自分が南極に行けるようになったという話は意外に知れ渡っておらず、
会う人会う人にいちいち南極の話をすることになってしまいました。

大学院時代にオゾン観測の実習などでお世話になった先生からは、
「本当にお前で大丈夫なのか?」と軽く脅されたりもしましたが、
最後は頑張ってくるようにと、激励の言葉を頂きました。

改めて、多くの方から学んだことを生かしてミッションを遂行しなくては
いけないと思うと同時に、帰ってきたらこの場(学会)でその結果を
きちんと発表しなくてはいけないとも感じました。
それが、本当の意味での恩返しというものかもしれません。

2013年5月17日金曜日

地上オゾン濃度観測訓練

今日は、つくばにある高層気象台にて、オゾン濃度計の取扱訓練でした。

オゾン濃度計は地上付近数百メートルぐらいのオゾン濃度を測定するため、
気象庁ではここ以外に3カ所で設置されています。
対流圏オゾンは光化学スモッグによって発生するので、大気汚染の目安として
使われます。

つくばでは、この小屋で観測を行っています。
煙突のような大気採取口から大気を取り込んで、室内の機械でオゾン濃度を測定します。



これが室内の機械です。
オゾン濃度を測定するため、水銀ランプをサンプリングした大気に透過させ、
その光の強度でオゾンの濃度を調べます。


オゾン濃度はちょっとした人為的な活動で簡単に測定結果が変わってしまうので、
慎重な操作が必要なようです。

2013年5月11日土曜日

ペンギン生態研究の最前線

先日、極地研究所で開かれたサイエンスカフェ「ペンギン生態研究の最前線」に
行ってきました。

サイエンスカフェではなく、講演会であったのは残念でしたが、
面白い話がいくつも聞けて楽しい時間でした。



○ペンギンは海氷があると暮らしやすい!?

南極周辺に多く生息しているアデリーペンギンのエサは、
小魚や南極オキアミというプランクトンです。

このオキアミは海に浮かんだ氷(海氷)の底に繁殖する藻類を
エサとしているため、ペンギンにとっては、この海氷が多いほど
エサが多いということになります。

実際に南極の一部のエリア(南極半島)では海氷の量とペンギンの数には
関係があり、地球温暖化による海氷の減少に従ってペンギンの数が
減ってきていることが分かっているようです。




しかし、そう単純に話が終わらないのが科学の面白いところ。
日本の昭和基地周辺ではこの関係が成り立たないのだとか。

昭和基地周辺でのペンギンの数は近年上昇傾向にあるようです。
これは昭和基地周辺の氷の厚さと逆相関の関係になっています。
(氷が薄いほど、ペンギンが多く生まれる。)

昭和基地周辺は南極の中でも海氷が分厚く、ペンギンが暮らすには
大変な場所です。
氷が厚いと、繁殖場所から海までの距離が長くなり、エサを採りに行くのが
大変になって、子育てをあきらめてしまう親が多いからでしょうか。





○バイロギング
ここ数年、ペンギンの羽に加速度計やデータロガーを付けて、
本当のペンギンの生態を調べようという研究が行われているそうです。

実際に使われている装置はこちら。
小さいものでは単三乾電池ぐらいの大きさのものもあります。


これらの装置をペンギンに背負ってもらうことで、ペンギンの行動が
詳しく分かってきました。

ペンギンの潜水には、エサがとれる/とれないという当たり外れがあるそうです。
ハズレの潜水が多いと子育てを諦める親が多くなるということも分かったそうです。



いつも、動物園で人気者のペンギンですが、日本の研究者の力で詳しい生態が分かってきているようです。

天気解析訓練

5月に入って南極での仕事の訓練が始まりました。

最初の訓練は「天気解析」。

聞き慣れない言葉ですが、やることは「天気予報」と同じことです。
ただし、南極では正式な意味で天気予報を出すことが無いので、こう言い換えているようです。

気象庁の職員なら、ほとんどが普段から天気図とか見慣れている人ばかりなので、
「いまさら天気予報なんて」という声も聞こえてきそうですが、
ひとつだけ普段見慣れている天気図とは違うことがあります。

それは、南極は南半球にあるということ。

普段から北半球の天気図ばかり見ている自分たちにとって、
南半球の天気図は未知の世界です。

南半球の天気図では低気圧や風向風速を示す矢羽根はこんな感じで表現されます。

単純に天気図を前後反対にしただけなのですが、今まで見慣れたはずのものが
逆さまになると、もうパニックになりそうです。

矢羽根の付ける向きも逆になるのだとか。

過去に南極に行ったOBの方からは、慣れの問題だよと言われましたが、
果たしてちゃんと慣れることができるのか心配です。

2013年5月5日日曜日

石橋を叩けば渡れない〜西堀榮三郎を訪ねて〜

突然ですが、西堀榮三郎という方をご存知でしょうか。

恥ずかしながら、私はつい数ヶ月前までこの方の存在を知りませんでした。
技術者、探検家として活躍された方で、学生時代からから数々の山に登頂され、
最終的にヒマラヤなどの登山隊の隊長をされた経験があるそうです。


この方は、日本が初めて南極観測を行うことになった1956/57年、それまでの経験を評価され、
南極越冬隊の隊長として抜擢されました。
南極に行って越冬を行い、継続した観測をする必要を訴えたのは、この西堀榮三郎だそうです。
その意味では日本の南極観測の基礎を築いたと言えます。
西堀が主張しなければ、日本は南極で越冬観測を行うこともなく、オゾンホールなどの環境問題の
発見も幻だったかもしれません。



西堀榮三郎の祖父は滋賀県東近江市出身で、榮三郎自身もゆかりがあったため、
この地に「西堀榮三郎記念 探検の殿堂」という記念館が作られました。


近江鉄道の八日市駅からバスで20分と、アクセスは悪いのが難点ですが、
西堀の少年時代から登山家としての学生時代、真空管開発に懸けた技術者人生、
そして南極からヒマラヤへと至る探検家人生を知ることができました。


西堀は色々な言葉を残していますが、この記念館で
石橋を叩けば渡れない
という言葉に出会いました。

どんなことにも「最初」がある。石橋を叩いてばかりでは結局「進歩」はやってこない。
恐れてばかりいないで、思い切って前に進め、という趣旨だと思います。


こういう思いがあったから、最初の越冬観測は成功を収め、日本は世界に誇る南極観測を
今まで継続できているのかと思います。
是非、私たちもこの思いを大切にして南極に行けたらと思います。